そろそろ古くなった畳を替えなければならなくなりました。
マンション暮らしですが、一室だけ畳の部屋があるのです。
この際畳を止めて洋室にリフォームを、とも考えましたが
結局和室を残すことにしました。
「和洋折衷」のなかで暮らすことの意味、和の文化について
少し考えてみたいと思います。
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「和風」の生活文化の原形は、室町時代に出来上がったと
言われています。当時は豪華絢爛な金閣寺の文化も存在
したのですが、日本人の感性は地味で清貧な銀閣寺の
東山文化のほうを好んだのです。
東山に山荘を築いた将軍義政は、政治的には無能でした
が文化の創造に関しては貪欲で有能でした。
狩野正信や雪舟といった絵師のほか、善阿弥(庭園)、
立阿弥(花生)など当代一流の才人を結集して、その後の
文化の源流を作り上げていきました。
日本家屋の特徴をなす畳の間、障子、床の間、違い棚
などはここで生まれました。壁に掛け軸を飾り、陶器に
花を生け、客人に茶を入れて庭園を眺めながら連歌を
愉しむ、といった「和風」の生活スタイルが、この山荘で
創生されたのです。
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うんと荒削りに日本の文化の歴史を眺めて見ますと、次
の大きな転機は幕末明治期でしょうか。和の文化は西欧
の近代文明の前に大きな試練に立たされます。
国として「近代化」を受け入れようと決意したものの、実際
は生活の隅々まで入り込む「西欧文化」との摩擦の連続でし
た。伝統的な和の文化は、圧倒的に便利で合理的な近代
西欧文明の前にコンプレックスを味わい、肯定と否定の
間で振り子のように揺れ動いたことでしょう。
受け入れ過ぎると「舶来主義」に、拒絶し過ぎると「国粋主義」
という両極端に陥ってしまいます。
夏目漱石は留学先のロンドンで精神的な危機を経験します
が、当時の日本が置かれていた深刻な文化状況を象徴する
出来事でした。
短絡的と叱られるかもしれませんが、太平洋戦争はそうした
日本人の精神的な危機を背景とした、いわば和と洋の文明
の衝突という側面もあったのではないでしょうか。
戦後の歴史を振り返ると、高度成長を経て世界有数の
経済大国となっていくなかで、私たちは徐々に自らの国
の文化に誇りと自信を取戻していきます。
和の文化は、寿司をはじめとした和食、勤勉な勤労精神、
高度な先端技術、丁寧なサービス精神など、既に世界中
の人々に受け入れられ、国際文化にも大いに貢献して
います。
明治維新以来、日本人を悩ませてきた「和の文化」に対
するコンプレックスは、平成の現在では晴れて払拭され
たと言えるのではないでしょうか。
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「和」という文字は、軍門に立てる標識「禾」と、誓いの文書
を入れる箱「口」から成っています。つまり和とは敵対して
いる者同士が和議を結ぶ、という意味を持ちます。
「和」とは相容れないものを和解させて調和させる、という
イメージの象徴です。異なる文化との融合も示唆するこの
文字を国の呼び名とした古代人の知恵と感性には感嘆せ
ざるを得ません。この小さな島国の穏やかで美しい風土
には猛々しい甲武は似合いません。
近代国家となった日本は、一時ひとびとを国家に従属さ
せる国家主義に傾き、遂に一国を滅ぼしてしまいました。
そこでひとびとは二度と戦火を交えないという誓いを立て
たのでした。
この不戦の誓いは、実は古代からこの国の歴史に滔々と
流れる精神を底流にしていることに気づかされます。
「和」という文字が戦乱の悲惨と虚しさを知り尽くした末に
古代の知恵者が見出した希望の象徴であればこそ、
その意味は現代にこそ響かせるべきであると思うのです。
(2014.1.20)
参考
「和の思想」 長谷川 櫂 中公新書 2009年
「足利義政と銀閣寺」 ドナルド・キーン 中公文庫 2008年