心地よい居場所(税所彰のコーチングエッセイ)

私はコーチングの講師。高齢化社会で心地よい居場所を探しながらエッセイを綴っています。働き方・人材育成のこと、世の中との付き合い方などについて考えを深めたい方、年齢に関係なくヒントになれば幸いです。                                  

クラシック(2013年以前)

和の文化

そろそろ古くなった畳を替えなければならなくなりました。
マンション暮らしですが、一室だけ畳の
部屋があるのです。

この際畳を止めて洋室にリフォームを、とも考えましたが

結局和室を残すことにしました。

 

「和洋折衷」のなかで暮らすことの意味、和の文化について

少し考えてみたいと思います。

 

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「和風」の生活文化の原形は、室町時代に出来上がったと

言われています。当時は豪華絢爛な金閣寺の文化も存在

したのですが、日本人の感性は地味で清貧な銀閣寺の

東山文化のほうを好んだのです。

 

東山に山荘を築いた将軍義政は、政治的には無能でした

が文化の創造に関しては貪欲で有能でした。

狩野正信や雪舟といった絵師のほか、善阿弥(庭園)、

立阿弥(花生)など当代一流の才人を結集して、その後の

文化の源流を作り上げていきました。

 

日本家屋の特徴をなす畳の間、障子、床の間、違い棚

などはここで生まれました。壁に掛け軸を飾り、陶器に

花を生け、客人に茶を入れて庭園を眺めながら連歌を

愉しむ、といった「和風」の生活スタイルが、この山荘で

創生されたのです。

 

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うんと荒削りに日本の文化の歴史を眺めて見ますと、次

の大きな転機は幕末明治期でしょうか。和の文化は西欧

の近代文明の前に大きな試練に立たされます。

国として「近代化」を受け入れようと決意したものの、実際

は生活の隅々まで入り込む「西欧文化」との摩擦の連続でし

た。伝統的な和の文化は、圧倒的に便利で合理的な近代

西欧文明の前にコンプレックスを味わい、肯定と否定の

間で振り子のように揺れ動いたことでしょう。

 

受け入れ過ぎると「舶来主義」に、拒絶し過ぎると「国粋主義」

という両極端に陥ってしまいます。

夏目漱石は留学先のロンドンで精神的な危機を経験します

が、当時の日本が置かれていた深刻な文化状況を象徴する

出来事でした。

短絡的と叱られるかもしれませんが、太平洋戦争はそうした

日本人の精神的な危機を背景とした、いわば和と洋の文明

の衝突という側面もあったのではないでしょうか。

 

戦後の歴史を振り返ると、高度成長を経て世界有数の

経済大国となっていくなかで、私たちは徐々に自らの国

の文化に誇りと自信を取戻していきます。

和の文化は、寿司をはじめとした和食、勤勉な勤労精神、

高度な先端技術、丁寧なサービス精神など、既に世界中

の人々に受け入れられ、国際文化にも大いに貢献して

います。

明治維新以来、日本人を悩ませてきた「和の文化」に対

するコンプレックスは、平成の現在では晴れて払拭され

たと言えるのではないでしょうか。

 

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「和」という文字は、軍門に立てる標識「禾」と、誓いの文書

を入れる箱「口」から成っています。つまり和とは敵対して

いる者同士が和議を結ぶ、という意味を持ちます。

 

「和」とは相容れないものを和解させて調和させる、という

イメージの象徴です。異なる文化との融合も示唆するこの

文字を国の呼び名とした古代人の知恵と感性には感嘆せ

ざるを得ません。この小さな島国の穏やかで美しい風土

には猛々しい甲武は似合いません。

 

近代国家となった日本は、一時ひとびとを国家に従属さ

せる国家主義に傾き、遂に一国を滅ぼしてしまいました。

そこでひとびとは二度と戦火を交えないという誓いを立て

たのでした。

この不戦の誓いは、実は古代からこの国の歴史に滔々と

流れる精神を底流にしていることに気づかされます。

 

「和」という文字が戦乱の悲惨と虚しさを知り尽くした末に

古代の知恵者が見出した希望の象徴であればこそ、

その意味は現代にこそ響かせるべきであると思うのです。

 

(2014.1.20)

参考

「和の思想」 長谷川 櫂 中公新書 2009

「足利義政と銀閣寺」 ドナルド・キーン 中公文庫 2008

そして父になる


決して奔り出すことなくゆったりとしたテンポで、しかし深く流れる

川のような映画です。

6年間育てた息子が、実は病院で取り違えられた他人の子であった、

という悲劇の物語です。しかし映画は忌まわしい事件と決めつける

ことなく、ひとびとの心の思いや成長を丁寧に描き出していきます。

登場するのはごく普通の人々。

何よりも温かく優しく見守るような映画の作り手の視線が感じられます。 

 

親子にとって大事なのは血縁かそれとも育てた経験か、ということ

がこの映画のテーマのひとつなのですが、私には親とは能動的に

なるもの、逆に言えば自然になるものではないのだ、という主張が

新鮮に感じます。そして、拡げてみればこれはアイデンティティー

の物語でもあります。

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失って初めて気づくものがあります。今までそこに居るのが

当たり前のように感じられていた身近な人が、何かの事情で

一緒に暮らせなくなる、そこに存在しなくなってしまう。 

日常から消えてしまうということが明らかになって、初めて

本当に相手に、この映画の場合は子供に向き合うことが

できるのです。

「パパは6年間はお前のパパだったんだよ」

愛惜の思いがこもった言葉です。

 

男は結婚して子供が生まれれば自然に父親になる、という

考えは、どうも単純すぎて甘いようです。確かに生物学的には

人間も他の動物と同じように「父親」になるのですが、複雑な

人間社会ではやはりもうひとつ親になるためのバリアを越える

ことが必要なのです。

それは、「父親になる」という能動的な意思をもつこと、子供と

もっと真剣に向き合うこと、ということなのでしょう。

そのことの意味は複雑な現代社会では以前よりもずっと重要

なことになってきました。 

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 自分とは何者か、というアイデンティティの課題は、自らの

存在は自分だけでは決められず、周囲との関係において

獲得されるものと言われます。

自分は○○である、と思い込み、そう主張することはできます。

しかし本当に○○であるのか、突き詰めて考えると不安があります。


若い頃は自分がまだ何者かはっきりしない不安を抱えています。


自分が何者か、と問うている限りは結論に至ることはないのです。

やはり大事なことは自分から○○になりたいと決意し、そのために

努力することでしょう。

 

○○になる、というアイデンティティを獲得していくとき、ひとつのコツが

見つかります。それは、この映画のように「○○でなくなる」場合を想定

してみることです。失っても心が痛まなければそれは本当のアイデン

ティティではないのでしょう。失ったときに激しい悲しみや痛みを覚える

もの。それが本当のアイデンティティというものではないでしょうか。

 

親子関係だけでなく、夫婦の間でも、友人知人たちとの関係でも

そのことは言えることでしょう。

相手との関係性をしっかり築くことなく○○というアイデンティティは

成立しないのです。

 

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 この映画は5月にカンヌ映画祭で上映されたとき、観客から総立ちで

10分にも及ぶ喝采を浴びて有名になりました。そのときの是枝裕和

監督のコメントが素晴らしいものでした。

「映画っていいな、と思ったし、それに対する拍手だな、と思っています」

 

謙虚なコメントはこの監督の生き方を現しているようで、好ましく感じました。

 

(2013.10.2)

 

「そして父になる」 GAGA2013年 是枝裕和監督

未来の選択

新聞を広げると、総選挙の話題でもちきりですね。各党の

マニフェストが出揃い、選挙戦も激しさを増しているようです。

景気のことも、年金のことも気になるところですが、しかし政治

にはもっと大事な議論が抜けている気がします。

それは、これからのこの国の未来の選択に関する議論です。

 

未来の選択をぐっと単純化してみます。選択肢はふたつあり

ます。第一が豊かさの基準を今までどおり経済重視とする選択。 

経済成長を維持し、拡大しながら社会の富を増加させていくこと

です。 GDP主義とも言えるでしょう。社会全体のパイを大きくする、

「公」が価値の中心にあります。 

第二の選択は、豊かさの基準を経済以外のもの、例えば

「住みやすさ」や「生活しやすさ」という人間の幸福感に置くもの

です。国民総幸福量(GNH)という言葉がありますね。社会を支

える「個」が価値の中心にあります。

 

                           

 

つい最近までわが国は「滅私奉公」でやってきました。第一の

選択である経済主義で突っ走ってきましたが、時代は今、ようやく

個人の幸福を中心にした社会を求めはじめているように見えます。

 

選挙での争点のひとつは、中央政府から地方への財源委譲の問題

ですが、その先にあるもの、つまり個人の生活環境をいかにしたら

守り、より快適にできるか、という議論があるべきです。

働きすぎと過大消費で進んできた私たちの社会ですが、その身体は

肥満した不健康体と化し、見えない部分で個人生活の犠牲を強い、

自然環境破壊という莫大な「外部損失」を引き起こしています。

私たちは自分たちの社会をどんな社会にしたいのか、政党のマニフェ

ストに頼ることなく、自らしっかり見極める必要があります。

 

こうした議論については、既に20年以上前から国をあげて取り組んで

いる先進国があり、次の言葉は勇気を与えてくれます。

 

未来は予測するものではない。選択するものである 

(デンマークの環境学者、ヨハン・ノルゴー)


(2010.10)

自分のなかの風

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自分のことは100%自分がよく分かっている、と思いますか? 

もちろんそうですよね。

でも人間は複雑です。

ちょっとミステリーのようですが、自分も知らない自分、という

世界がひょっとして存在するのかもしれません。

何かの拍子に、自分では想像もしなかった力とか能力が

自分に備わっていたことに気づいた経験はありませんか。

私にはあります。

 

大学を出て就職した会社で突然、経理部に転属になりました。

経理など関心がないし、むしろ嫌いな分野でしたので大いに

ショックでした。会社を辞めようか、と悩みました。

 

しかし結論からいうと、経理は私に向いていたのです。誰か

私の隠れた能力を見抜いてくれたひとがいたのかもしれま

せん。

 

経理を経験したことで、青年期の私は自分のキャリアを確立

できたばかりでなく、その後の人生を切り開いてくれた大切な

リソースを手に入れたのです。

 

                           

 

ひとには誰でも自分のなかの隠れた部分があります。心の闇

の部分、という言い方もできますが、もっと前向きに潜在的な

才能、と考えましょう。潜在的なこころの奥底には、あなたが

まだ気づかない才能がひっそりと眠っているのです。

 

その気で探せば、あなたの未来を切り開いてくれるリソース

がきっと見つかるかもしれません。

 

漫画家の弘兼憲史氏は、自分のなかの70%は変わらない

部分、つまり「石」であり、30%は自分でも分らない自分の

世界で、つまり「風」である、と表現しています。

 

 ・・・自分のなかの「風」はどこに吹いていくかわからない風だ。

 自由な生き方を求める自分だ。何になりかわるかもしれない

 自分だ。そのことだけは信じよう。

 (『「いい人」をやめる男の成功哲学』)

 

ロマンのある表現ですね。


(2009.5.20)