20-8-16初夏の水辺F6
                        「初夏の水辺」

 日本人はコミュニケーション力が乏しいと言われてきました。読み書きは優れているのに、言葉にして伝える発言能力が弱いのです。
単なる「おしゃべり」ではなく、自分の意見や考えを相手にきちんと伝える力、のことです。

 私には苦い経験があります。外資系企業に勤めていた頃のことです。海外で研修を受ける機会が何度かありました。そのなかで、アキラは何を考えているかよく分からない、と言われることが度々あったのです。数日間の研修を共にした世界のマネジャー仲間からのフィードバックです。”Big unknown(大いなる謎の人)”、などと言われたときはショックでした。

 謙虚さは決して美徳ではない、と思い始めました。控えめに大人しくしていることは欧米の文化では自分を表現出来ない「無能者」か、わざと自分を隠すズルい人間などと思われてしまうマイナスの評価なのです。むしろ積極的に自分の意見を主張するほうが、全体の利益に貢献している、として高い評価を受けるのです。その意見が正しいか、間違っているか、ではないのです。議論に貢献するかどうか、なのです。
私は自分の経験から、日本と欧米のふたつの異なる文化環境のなかで、コミュニケーションの態度を使い分けるスキルを身に付けることを学びました。
 
 しかし、自分の意見を堂々と述べることは私たち日本人にとってそう容易なことではありません。そもそも私たちはそのような教育訓練を受けていないのですから。日本の教育は知識中心主義です。「考える」よりも「知識」を教えることが中心でした。最近になってようやく「考える」教育が導入されるようになってきましたが、あまり成功しているようには見えません。教える先生の側も世の中も日本文化にどっぷりつかっているから無理からぬことです。
 やはりこれからの時代には、ますます考える力、発信力が求められることでしょう。

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 「考える」よりも「知識」を教える知識主義の教育制度で育った人間は、自力で飛行できない「グライダー人間」である、と苦言を呈したのは外山滋比古です。知識はあるものの、それを活かして新しい考えを生み出していくことは苦手なのです。
 ではどうすればしっかり「考え」て自分の意見を持ち、しっかり相手に伝えられるようになるのか。「考えて」みましょう。

 「考える」とはまず第一に自分との対話です。自分であるテーマを掲げてそれについて解決策を考えてみます。テーマは「少子化問題」でもいいし、もっと身近な「部屋の片づけ問題」でも何でも構いません。
これは「考えをまとめる」段階です。テーマが見つからなければ本やネットなどで素材や情報を集めてみるといいでしょう。

何をすべきか考えが一応まとまったら、「発信」してみます。つまり誰かに考えを聞いてもらうことが第二段階です。「考える」とは他人との対話でもあるのです。自分以外の人間と共に問い、語り、聞き、問題を共有してもらうのです。

 これによって他者の反応を「見て」「聴く」ことが大切です。なぜなら、相手の反応によって、再び自分に戻って考えを修正したり、より深めたりできるからです。これが第三段階、フィードバックです。

 このように、自分だけでなく他者と「対話」することが「考える」ことには含まれるのです。他者と対話することにより、客観性が生まれ、アイデアが磨かれていく訳です。そしてその結果、より客観性を持ちより多くの人々に受け入れられる「自分の」意見、アイデアが生み出されるのです。

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 このように「考える」ことを一連のプロセスと捉えると、「考える」ためにいくつかのスキルが使われていることに気づきます。
 ひとつは、テーマを見つけるために「好奇心」を持つこと。なぜだろう?と新鮮な疑問を持つことです。
ふたつ目は、考えをまとめるためにロジックを使うことです。何かを主張するにはさぜならば~という根拠を付け加えることが大事です。

三っつ目は、相手に伝えるためのスキルです。相手に分かり易い言葉使いで、相手の気持ち・感情に配慮すると伝わりやすいのです。これも学校教育では教えていないスキルですが、簡単な訓練で誰でも身に付けることができます。

以上が私の考える「考える」方法です。要はアウトプットすること、発信してみることで考えがまとまる気がします。

(2020/9/15)

参考:
「考えるレッスン」外山滋比古 2012年 だいわ文庫