19-6-18青磁の壺F6
青磁の壺

 人間の才能は天性のものなのか、努力で得られるものか、という議論があります。従来は天性説が有力でしたが、近年は脳科学の発達もあって、一定の条件を満たす環境を作れば人間の能力は伸びる、という考えが有力になっています。 例えば天性のものと思われていた「絶対音階」。ある音楽スクールで24名の幼児に数か月から1年程訓練したところ、ほぼ全員が「絶対音階」を身につけた、という実例が報告されています。
 能力開発の視点から、人間の能力がどう形成されていくのか、について考えてみたいと思います。

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「限界的練習」とは
 米国の心理学者アンダース・エリクソンは、人の優れた能力は生まれつき備わっているものではなく、適切な努力によって誰でも身につけることができるものだ、と主張しています。
 
 エリクソンによれば、優れた技能はただ闇雲な努力や厳しい練習から生まれるのではない、と言います。一定の条件を満たした「限界的練習(deliberate practice)」と呼ぶ訓練を通じて、ひとは一流の技能に辿り着ける、というのです。

 一流のピアニストは楽譜を見ただけで豊かな曲のイメージを膨らませ、考えなくても指がスムーズに動かせるし、一流の棋士は、盤面を数秒見ただけで何十手先を読むことができる、といいます。

 「限界的練習」の条件には次のような要素が含まれます。
1)明確な目標があること (強い願望) 
2)集中して行うこと 
3)フィードバックがあること(自分以外の他者からの)
4)「居心地いいゾーン(comfort zone)」から飛び出すこと(つまり負荷をかけること)

 ピアニストの指捌き、画家の筆使い、一連の身体的な訓練は脳内の活動と一体的に行われます。そして徐々に脳の中に独自の回路を形成していくわけです。 

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ホメオスタシスと心のイメージ
 上述の「限界的練習」の条件のうち、4)の「負荷をかける」が特に重要なポイントになります。もともとひとの身体は「ホメオスタシス」という恒常性維持機能で守られています。

 継続的な訓練によりホメオスタシスに追い付かない負荷がかかると一連の生化学反応が起き、細胞は新たなホメオスタシス状態を形成するのです。
 これにより、以前なら負荷を感じた運動が楽にできるようになるのです。まさに能力がレベルアップしていくメカニズムがこれです。

 経験のある一流の外科医でしたら、寸分のミスも許されない心臓手術を高い確率で成功させることができるでしょう。あるいは一流のサッカー選手なら、敵味方入り乱れて複雑に動きまわるピッチの中で、一瞬で次の場面を想定した適確な行動をすることができるでしょう。

 これらの一流の人々に共通なことは、心になかにある種のイメージパターンが出来ている、といいます。エリクソンはこれを「心的イメージ(mental representation)]」と呼んでいます。前述の「限界的練習」の目的は、「心的イメージ」を形成することでもあります。

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ビジネスでの適用は可能か
 エリクソンの一連の見解は、ひとの能力がいかに磨かれていくかに関する貴重な知見です。今の段階では必ずしも十分な実証が済んでいるとは言えないかもしれませんが、様々な分野で験される価値があります。

 多くの人が携わる企業経営における能力について考えてみたいと思います。果たしてエリクソンの「限界的練習」理論はビジネスでも適用できるのでしょうか。

 例えば組織のリーダーである企業管理者の能力はどうでしょうか。経営管理における「能力」とは、業務の管理、ひとの管理における技能(スキル)で、 優れたピアニストや一流の体操選手が持つ「能力」と比べると、かなり複雑で総合的な「能力」です。

 求められる結果も、スポーツ競技や芸術に於けるような「一流」に関する明確な規定(金メダルとか絵画価値のような)を持つわけではありません。

 それでは、スポーツチームの監督の能力はどうでしょうか。サッカー、野球、駅伝・・・。チームメンバーをまとめ上げて、チームを勝利に導くことを目標にしているコーチ(監督)は、まさに企業の管理職の姿と重なります。
 企業管理者も、組織の業績を向上させる、という明確なゴールを持っているわけですから。

管理者にも「限界的練習」は有効
 企業管理者にも「限界的練習」理論が当てはまるのではないでしょうか。一流の野球監督、一流のマラソンコーチがいるように、一流の管理職、名マネジャーというものが、この世界には存在するのではないでしょうか。 しかし現実にはあまり耳にしたことがありませんね。それはなぜなのでしょうか。

 ひとつ考えられるのは、「昇格」制度のせいです。企業で実績を上げた管理職、例えば課長は、会社から評価されて部長に昇格します。つまりスポーツ監督のようにひとつの組織に留まることなく、別のより大きな責任を持たされてしまうのです。

 もし、何年も十何年も同じ組織のリーダーでいたとしたら、それはあまり業績を上げられないリーダー、「万年課長」などと呼ばれてしまうでしょう。
 これでは「その分野でコンスタントに優秀な業績を上げる『一流マネジャー』」にはなれないのです。

 スポーツ監督と比べると企業管理者は「昇格」制度のせいで同じチームに長期に留まれないという違いがあるものの、ともかく、企業管理者も「昇格」による仕事内容の変化を乗り越えて「限界的練習」理論が当てはまる可能性はあるのではないでしょうか。

 それは、「業務の管理」「人の管理」「戦略の管理」という主に3つの分野での技能の総合化された能力です。

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「そこそこのレベル」でいいのか?
 個人ごとで恐縮ですが、私は趣味で水彩画を描いています。今は「そこそこのレベル」ですが、そこに安住していては能力はこれ以上伸びない、ということでしょうか。いやいやエリクソンによれば、伸びないどころか安住の結果そこから能力の劣化すら起こりうる、というのです。

 医師や弁護士などの専門家、スポーツ選手や芸術家だって、もし「そこそこのレベル」で安住しているとしたら、いつのまにか専門性が劣化してくる可能性もあるのではないでしょうか。仕事であればなおさら、一流のレベルを目指して自分の能力を伸ばしていくことは意味のあることだと思います。

 実際に自分で「そこそこレベル」を飛び出すのかどうかについては迷うところでしょう。果たして「限界的練習」を耐えてまで一流を目指すかどうか。ある程度強い意思や周囲のサポートが必要になるでしょう。
 
(2019年7月7日)
参考
「超一流になるのは努力か才能か」アンダース・エリクソン
土方奈美訳  2016年 文芸春秋社