21-9バラとレモンF6 (2)バラとレモン

 教育の荒廃が言われて久しくなります。学校は知識を教えるところであり、智慧を学ぶ、という発想は乏しいようです。そもそも先生方が「智慧」を教えられなくなっているのではないでしょうか。昔は先生は「偉い」存在でした。生きるための「智慧」を教えてくれたひとが先生と呼ばれ、ある種の聖職者として尊敬されていたものでした。

 それが、いつの間にか智慧が疎んじられて、教育において知識が幅を利かすようになってきました。原因はどこにあったのでしょうか。知識に偏重した大学入試のせいでしょうか。インターネットの普及で、世界の知識・情報が容易に手に入るようになったせいでしょうか。あるいは社会が豊かになるにつれて、あまり他者と関わらなくとも間に合う世の中になったためでしょうか。

 教育の原点を知識から智慧にシフトチェンジしてはどうでしょうか。新しい教育への道が拓ける気がします。

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 「智慧」とは、瀬戸内寂聴さんの言葉を借りると、「自分の行くべき道の方向を、自分の力で、誤らず判断する能力のこと」、とされます。つまり智慧とは、自分で知識を駆使してある問題の解決を図ったり、最適な判断をできる能力のことです。智慧は、自分で深く考える力であり、生きるための判断基準を与えるものなのです。知識をよりよく使いこなすための上位の概念、と言ってもよいでしょう。知識と智恵の違いを意識することが大事だと思います。具体的な例で説明してみます。

 私の住むK市は県内でも有数の観光地です。そのため近隣地域の中学や高校から多くの生徒たちがグループで訪れてきます。ひとグループ5人位で、自分たちの調べた場所を辿りながら街の各所を歩き回っています。
 知識の獲得が目的であれば、歴史や市内の地図を知ることができれば目的は十分達成、ということになるでしょう。しかし優れた先生なら、そこで別の課題を生徒たちに与えるでしょう。例えば、なぜK市は観光地になったのか。あるいは、5人がそれぞれの得意な能力を話し合い、事前に打ち合わせてベストの役割を決めたらどうなるか。もし道に迷ったり何か問題が生じた場合、地元のどんな人たちとどういう関わりが持てればいいだろうか・・・。

 課題を与えられると、生徒たちは自発的に考え始めるでしょう。自分の知識では足りず、何か別の情報が必要であることに気づくでしょう。他の仲間が思わぬ知識を持っているかもしれません。仲間以外の、街の人々とのコミュニケーションも大いに役立つことに気づくはずです。

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 このように、知識ではなく智慧に重点を置けば生徒たちのグループ活動は俄然活性化してきます。生徒たちの脳が活発に動き始め、モチベーションが上がるのです。自分たちで新たな課題を見つけ、どうしたら解決できるか「智慧」を出し合い、解決策を考えていけるようになります。こうして活き活きとしたグループ活動が生まれてくる、というわけです。ここで大切なのが先生の役割です。

 知識から智慧に視点を変えることで、先生は生徒たちを活性化することができるでしょう。それは企業においても応用できることです。マネジャーは部下たちを活性化することができるはずです。
 ビジネスは複雑で様々な問題に直面します。知識だけでなく、智慧の活用が欠かせません。マネジャーの皆さん、あなたのマネジメントは知識偏重に陥っていませんか。
(2021/11/24)

参考図書
「生きてこそ」瀬戸内寂聴 2017年 新潮社