18-10-26WhiteRock F4

 格差が広がっている、と言われます。本当でしょうか?
格差の指数であるジニ係数を調べてみました。

OECD調査(2015年)によれば、日本のジニ係数は0.336であり、先進国35か国中では10番目に高い、つまり格差がやや大きいほうの国です。イギリス(0.344)やアメリカ(0.389)は日本より格差が大きく、一番大きいのは中国(0.514)です。格差が低いのは北欧や東欧、ドイツなどです。
 20年前(1985年)の日本のジニ係数は0.323でしたから現在までの上昇は0.013と僅差です。

 ジニ係数を見る限り、日本はさほどの格差社会ではないように見えます。しかし近年では非正規雇用者が増加しているし、高齢化も進展しているので格差が広がっている印象があります。これらの影響はどうなっているのでしょうか。
 
 調べてみると、先ほどのジニ係数は「再分配所得」、つまり税や社会福祉を考慮した数値であり、別に再配分前の「当初所得ジニ係数」というものがあることが分かりました。その数値によると、30年前(1984年)の0.398から、2014年は0.530と大幅に上昇しています。

 つまり、グロス所得で見ると格差が大きく進んでいるのですが、実際には税などの所得再配分政策のお陰で格差が抑制され縮小されていることが分かります。
 要するに印象的には格差は拡大しているように感じますが、客観的にみると大きな拡大ということでもなさそうです。

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 哲学者の池田晶子さんは別の角度から「格差」について論じています。以下はその趣旨の抜粋です。

そもそも資本主義とは格差が存在する社会です。食べ物もないほど貧しい状況は別ですが、資本主義の元では「格差」は生じて当たり前です。ではひとが格差を問題とするのはなぜでしょう?

 普通の暮らしをしているひとが、「もっといい暮らし、豪勢な暮らしをしたい」と望むとします。つまり欲望です。そこに「格差」が生まれます。つまり「格差とは社会のうち、ではなく、人の心のうちに存在する」というのです。
 
 ひとはお金という尺度で幸福を測ろうとします。確かにお金があれば幸福です。生活のために金を儲けること、つまり働くことは正当なことです。しかし、贅沢のために金を儲ける、となると倫理的に微妙になります。
 
「お金のためにお金を儲ける」状況となると、お金が目的化されてしまい、人間性から遠ざかっていきます。お金は生活に必要ですが、欲望に駆られると「必要」の範囲を超えていき、倫理の境を逸脱してしまうのです。

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 「格差」に話を戻します。もちろん日本社会の底辺では救済すべき人々がたくさんいて様々な手を差し伸べるべきです。 同時に、普通の生活をしながらも「負け組」という幻想の言葉に捉われ、叶わなかった欲望を恨みや妬みに変えて「格差」を言い募るひとがいます。

 他人の暮らしぶりが気になる、というなら気を付けたほうがいいです。お金に捉われない幸福の尺度がある、ということを知るべきです。お金を目的に生きる人生は正しくありません。

 自分はどんなときに幸福かを、心に問うて考えてみるといいと思います。他の人がどう生きよう構わないのです。私自身が善く生きる、という一点が大事なのです。

 人間は不平等です。お金の有るなし、ではありません。心の問題です。賤しいしい人間もいれば貴い人間もいます。「格差」を言うなら、品格の格差を問題にしませんか。

池田さんの主張に私も心から賛成します。

(2018.11.20)

参照(多く引用しました)
「知ることより考えること」池田晶子 2006年新潮社