心地よい居場所(税所彰のコーチングエッセイ)

私はコーチングの講師。高齢化社会で心地よい居場所を探しながらエッセイを綴っています。働き方・人材育成のこと、世の中との付き合い方などについて考えを深めたい方、年齢に関係なくヒントになれば幸いです。                                  

2018年03月

情報を疑う

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 米国の大統領選挙をきっかけにしてネット上に
蔓延するフェイクニュースが問題になっています。
 ネットなどで得られた情報を鵜呑みにしてしまう
人々が大勢おり、事実でない事柄が「事実」として
世になかに拡散していくのです。

 ひとは簡単に「思い込み」の罠に嵌ってしまう
ようです。そこにフェイクニュースが付け入る余地
が大きく口を開けて待ち構えています。

 ネット時代である現代、私たちはついスマホに
答えを求めてしまいがちです。 おいしい街の
レストランを探す、面白い映画を探す、ある場所に
行くのに何時の電車に乗ればいいのか・・・。 
すべてスマホが簡単に答えを出してくれます。

 ひとが自分の体や頭脳を使って調べたり考える
代わりに、小さな情報機器が全部やってくれるの
です。スマホなどの情報機器は人間の頭脳の
外部化であるという学者もいるほどです。
 便利ですが、しかしこれでは人間の頭脳の思考
力が低下してしまうのではないかと心配になって
しまいます。
 
  * * * * * * * *

 スマホやインターネットへの過度の依存を断ち
切り、フェイクニュースを見破り、「思い込み」を
排除するには、思考する力、つまり思考力を鍛え
なおすことしかないと思います。

 人間は日々色々な情報に接しながら様々な判断
を下しています。しかし、その判断は果たしてどれ
くらい正しいでしょうか。 思考する、とは常に自分を
疑い正しいかどうかを自らに問いかける知的な作業
です。 

 いい意味で「疑う」ことです。自分自身を。私の判断
はひょっとすると間違いかもしれない・・・、と一歩踏み
留まる謙虚さが大事です。
 すると自分以外の他者や周囲の状況にも見回す
ユトリが生まれて客観的な視点にたどり着くことが
できるのです。

 謙虚さは慎重な思考を産み、慎重な思考は正しい
結論に導きます。思考力を鍛える第一歩は「疑う」
ということではないでしょうか。

  * * * * * * * *

 「我れ思う、故に我れあり」というあの有名なデカルト
の箴言。「私は考える、だから私は存在する」
ということだそうです。思考とは人間という存在にとって
本質的に不可欠なことなのでしょう。

 人間とチンパンジーのDNAは98.8%同じだそうです。
1.2%の違いとはコミュニケーションする力、言語力
です。ネットなどの電子機器は非常に便利であり、
現代生活に不可欠なものになっています。
 しかし、言語を使って高度な判断をする=考える能力
を安易に電子機器に譲り渡してはいけないと思います。

 フェイクニュース蔓延は、ひとの思考力の低下に
対する警鐘とも言えるでしょう。


(2018.3.24)

不条理なことへの対処法

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人生には不条理なことが時々起こります。
 いじめを止めようとして友達を庇っていたら、今度は自分がいじめの標的にされてしまった男子生徒のことがニュースに出ていました。

 私には小学生のとき転校生となった経験があります。転校生が珍しかったせいで、注目の的になりました。 クラスの一部からは「生意気な奴」と思われて「敵意」を向けられてしまいました。
 
 そのとき私の取った行動は次のようなことでした。
まず、「敵」と思われた子たちとの直接対決を避け、味方を増やす作戦を取ったのです。両親にも協力してもらい家に友達を呼んだり、クラスの野球チームに入ったりして積極的に平和路線を取りました。

 その後クラスの大半を味方にすることができたので、私に対する「敵意」はいじめに発展することなく収束し、事なきを得ました。

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 自分に責任のない出来事で被害を被るとき、人は不条理、つまり理不尽さを感じます。いじめの原因は人間の嫉妬心であり、人間の弱さであると思います。
 人間はすぐ他者と比較したがるものです。自分に有るものでなく、無いもののほうに先に目がいくのです。そこから嫉妬心が生まれます。

 大人になっても心が成長していない人は大勢います。
 些細なことに憤慨してすぐ学校などにねじ込んで行く「モンスターペアレント」的な人をよく見かけます。そんな人に限って自分の権利の主張には熱心ですが、自分の視野の狭さには気づかないのです。

  人間はアンビバレンツな存在であり、善悪双方を秘めています。自分と他人は違う存在である。その違いをしっかり認めることから人間の成長が始まるのだと思います。
 自分を客観的に眺めてみると、心の狭さにも気づくでしょうし悪の心もあることに気づくでしょう。そうして初めて理性を取り戻し、善の心に戻れるのです。

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 私の転校生の体験はその後の人生でずいぶん役立ちました。考えてみると、就職のとき、転職したとき、新しい環境に飛び込むときに似たような経験を何度もしました。
 不条理な目にあうことは、生きている限り避けられないのかもしれません。そんなときは、相手の人間性の小ささを憐れみ、自分の人間性が試されているのだと思うようにしています。

 上智大学名誉教授の哲学者デーケンさんの印象深い逸話でこの「不条理」についての話を締めくくりたいと思います。

 第二次世界大戦中にドイツ人でありながら、デーケンさん一家はナチスに反対してレジスタンス運動に参加していました。戦争末期に連合軍が一家が住んでいたの村に入ってきたとき白旗を掲げて歓迎しようとした祖父が、何と連合軍の兵士に誤って射殺されてしまったのでした。
 
 この理不尽な出来事に際して、デーケン少年は涙をこらえてその兵士に手を差し出し、「ウエルカム」と言ったというのです。デーケンさんが、「汝の敵を愛せ」というキリストの教えを世界に広めることを一生の仕事に決めた瞬間だった、そうです。

 理不尽なこと、不条理なことが起こることは残念ながら避けられません。しかし、デーケンさんのエピソードは、人間の理性は不条理な経験をバネにして、前を向くエネルギーに変えることも不可能ではないことを教えてくれます。

(2018.3.4) 
 
参考:アルフォンス・デーケン「死とどう向き合うか」
         NHK出版  2011年