幸せ、とは何でしょうね。
40代の頃の私、何度か転職を経て仕事や家のローンなどで
にっちもさっちも行かないストレス状態に陥っていました。
その挙句、入院して命掛けの手術をするはめに・・・
より幸福になることを目指して転職したはずなのに、
どうみても幸福ではなかったですね。
自分が今幸せかどうか、60代になった現在はあまり考えた
ことがありません。
それ自体が、幸福であることの証なのでしょう。
多分。
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幸福の基準は自分のなかにあります。
40代の私のようにストレスを抱え込むような状況
を招いた原因は、やはり私自身だったのです。
自分を「幸福である」状態におくことの大切さを、
もっと理解しておくべきだったと思います。
「幸せになるのを
未来まで待つ必要はない
今 すでに幸せなのだ」
(ジェリー・ミンチントン)
この言葉で今の私は気づかされます。な~んだ、
今すでに幸せなのだと。
そして私が幸せだと感じる理由をノートに書きだして
みようと考えました。
結構出ました・・・。取りあえず20個出ました。
家族や友人に恵まれたこと、戦争のない時代に
生ていること、健康でしっかり歩けること・・・等々。
小さなことまで拾っていくと100個くらいは軽く
書けそうです。
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「当たり前のこと」と思っていたことが、それを失って
みると、実は当たり前ではない、実に貴重な幸福
だったと気づくのです。
自分が幸福であることにもっと気づくべきですが、
しかしこれは実はそう簡単なことではないかもしれ
ません。
戦後70年が経ち、日本人全体が「平和ボケ」に陥って
いる状況なのかもしれません。あるいは「ひとはいつも
幸福であるべきだ」と考えて、自分で勝手に幸福の
バーを高くし過ぎているのかもしれません。
いずれにせよ、自分に与えられている幸福に気づかない
のは実にもったいないことです。
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健康のありがたさを真に知る者は、病人である。
平和のありがたさを真に知る者は、戦争国の人である。
幸福のありがたさを真に知る者は、不幸に陥った人である。
健康、平和・・・、そして幸福。どれも一度失った経験
を持たないと、心底ありがたい、とは思えないのかもしれ
ません。その意味では、人生経験が浅いうちはなかなか
自分の幸福に気づきにくいのでしょう。
特に人生の前半では、幸福のレベルを高く掲げておくのは
ある意味必要でもあります。チャレンジすることはいつの
時代も大切なことです。
だからこそ、と敢えて申し上げておきたいのです。
今ある幸せに気づこう、そしてそれを大事にしよう、と。
「幸福に気づく」ためのコツがひとつあります。
それは、理性でなく感性を働かせる、ということです。
「幸福」は理性ではなく、感性で感知できるものです。
だから「幸福」を感知するための感性のアンテナを高く
掲げて下さい。
朝目覚めて自分がそこに存在していること、
愛する人々が自分の近くにいてくれること、
ベランダの草花が陽に輝いていること・・・・
どれも今の私を幸せにしてくれます。
小さな不幸は絶えず起こるかもしれません。しかし本質的
にはそれらは「小さな」ことでしかないのです。
生きていること自体が幸福なのだ、ということを
これからも忘れずにいこうと思います。
*参考:ジェリー・ミンチントン「うまくいっている人の考え方」
2017年06月
税所 彰プロフィール
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