今年も川越祭りの季節を迎えました。10月が近づくと
地元の神社から囃子の音が聞こえ始め、町内が俄かに
活気づくのです。
氷川神社の秋の例大祭として、江戸時代に始まった
川越祭り。当時から関東でも有名な祭りだったそうです。
蔵造りの街並みや時の鐘を背景に、手古舞や法被など
揃いの祭り衣装を纏った町内の人々に曳かれて山車が
通る姿は美しく、まるで江戸時代に迷い込んだ気分です。
子供の頃、住んでいた喜多町の山車を曳いた記憶が
甦ります。昼間は子供たちが山車を曳けるのです。
曳き終わるとお菓子を貰えるのが楽しみでした。
***************
一番街通りの中ほどに、幸町(さいわいちょう)の
会所が設置されています。会所とは祭りを宰領する
町内の詰所です。
覗いてみると古い友人たちが顔を揃えていました。
中学の同級生であるK君から、面白い話を聞きま
した。幸町には山車が2台あるというのです。
幸町は戦後に旧来の南町、鍛治町、多賀町(一部)
の3つの町が合併してできた町でした。どの町も山車
を持っていましたが、多賀町だけは明治の川越大火
で山車を焼失したままだったので、2台になっている
という訳です。
この町にはまだ江戸時代の町割りの記憶が色濃く
残っている思いを深くします。
***************
江戸の初期に形成された河越城下十ヶ町は、武家
方と区別された商人や職人たち「町方」の自治区
でした。
戦国の世が終わって間もない時期。幕藩体制の確立
のため身分制の固定化をはかろうとする武士階級に
対抗する町方たちの反発は強かったことが想像されます。
城を拡張し町割りを采配した城主松平信綱が、同時に
この祭りを奨励した背景には、町方のエネルギーを
発散させる狙いがあったはずです。
一方、祭りは町方にとっては自らの気概と誇りを天下に
示す絶好の機会であり、城下の一大イベントとして隆盛
を遂げていったのでした。
明治維新で士農工商の身分は制度上は廃止され
ましたが、400年の歴史に培われた川越の商人たち
の魂は、川越祭りのなかに連綿と受け継がれている
ようです。
***************
会所に詰めている友人たちもすっかり年をとりました。
「もう長老だね」と云うと、「まだまだ上がいるよ」という
返事。
他所の町の山車が通るたびに、「あいさつ」の口上
を交わすのがしきたり。「長老」たちもその応対に結構
忙しそうです。
江戸時代。遠い過去のように感じていたけれど、この街
では意外に身近な所に隠れていて、お祭りのときなどに
その残り香を振りまくようです。
(2015.10.20)