安全保障問題が国会で議論されています。政権
与党は、日本は憲法を変えてまでも集団的自衛権を
確保して軍事面でももっと世界平和に貢献すべきだ
と主張しているようです。でも本音はもっと別な所
にありそうです。

中国が急速に軍事力を拡大しているし、北朝鮮、IS
など日本をとりまく脅威が存在することは分かります。
しかし私は現在の安倍首相の美辞に飾られた主張には
何か違和感を覚えます。
その違和感の原因はふたつあります。ひとつは
政権の主張がいかに「民主的」で「平和的」な美辞
で飾られていても、国家主義イデオロギーという
本質が底辺に隠されている、と思うからです。
国家主義を復活させたい、というのが現政権の
本音ではないでしょうか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
国家と国民の関係を位置づけるとき、国家を国民
の上に立たせる考え方を「国家主義」、国民を国家
の上に位置づける考えを「国民主義」と言います。
(これは私見ですが、大きくは間違っていない筈です。)
明治維新後の日本は国家主義を選択しました。
富国強兵とは、国が「一等国」として富裕になるまで
国民は我慢して働こう、というスローガンでした。
その成果は目覚ましく、日本は半世紀ほどの短期間
で西欧的近代化を遂げました。しかし「国家主義」が
軍事的膨張へと転化したとき、日本は戦争へと突き進み、
敗戦により全てを失いました。
戦後はその教訓を忘れないために、国家主義を排除し、
国民主権と平和主義を刻む憲法を作ったのです。
戦後70年経ち、またぞろ「国家主義」が台頭しようと
しています。そのことに危険を感じます。
原点に戻って考えましょう。私たちは国家主義でなく
国民主義を選択したのです。
国家主義は国民に無条件の服従を要求します。
統制が取れた、反対者がまるでいないような国家の
姿を「美しい」と感じる美意識を私は持ち合わせません。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
第二に違和感を感じる点は、政権が軍事的な脅威に
対して軍事的に対抗しようとする姿勢です。 隣国である
中国が、ここ10年間軍事力を増強し続け膨張的な動きを
示しているのは事実です。
しかしその脅威に対して対抗策はいくらでもあるのに、
国民に対しては、唯一軍事力で対抗するしか選択肢が
ないかのような主張をしています。これは言辞トリックです。
相手の軍事力に対して軍事だけで対抗しようと考える
のは、軍拡競争を招く愚策です。結局共倒れに終わる
ことは歴史が教えるところです。
冷静に相手を分析し、選択肢を探せば、軍事以外
のベターな対抗策が見つかるはずです。
例えば互いの経済発展を目指した地域経済政策が
あります。環境問題は日中で取り組むべき地域的な
課題です。
日本には世界最先端の環境技術があります。
韓国も参加して日中韓で地域環境改善プロジェクトに
取り組み、成果をあげて世界に発信していくことが
できれば、そのことが極東地域全体の共通利益と
なります。
争いに目を向けてしまうと、他の平和的な選択肢に
関心が向かなくなります。地域の共通の利害に目を
向けることにより、互いに協力することで解決する問題
がたくさん見つかるのです。政権与党は、脅威を強調
することによって国民の目を「争い」に向けようとして
いるように思われます。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
かつて日本は軍事力を拡張し、中国はじめアジアへ
の侵略を図りました。我たちはその失敗の歴史から
学ばねばなりません。
なぜ軍部は暴走したか。なぜ政治家と国民は止められ
なかったか。その背後には「国家主義」があったためでは
ないでしょうか。幕末に吉田松陰たちが掲げた「国家主義」
は、旧体制を崩壊させる役割を果たましたが、後の時代に
妙な方向に暴走したように思います。
一方、歴史上アジアの大国であった中国は、近代に
なって味わった列強の圧迫と植民地の屈辱の歴史から
ようやく脱却し、戦後70年を経て世界の経済大国となり、
誇りと自信に満ちています。
急速に世界の「一等国」となった中国が「国家主義」
的となり、膨張政策を採るようになるのは、かつての
日本が辿った道と酷似しています。
革命後に欧州で拡張戦争に乗り出したナポレオンの
フランスの例もあるように、急速に台頭した新興国が
「国家主義」傾向を強め、拡張的政策に走りがちになる
のは一種の歴史の法則かもしれません。
そんな危険な道を辿ろうとしている隣人に対して、
近代「国家主義」の苦い体験者として、あるいは古き良き
友人として、日本はどうアドバイスし、国として対処したら
いいのか。
それが私たちのあるべきスタンスだと思うのです。
(2015.6.26)
与党は、日本は憲法を変えてまでも集団的自衛権を
確保して軍事面でももっと世界平和に貢献すべきだ
と主張しているようです。でも本音はもっと別な所
にありそうです。

中国が急速に軍事力を拡大しているし、北朝鮮、IS
など日本をとりまく脅威が存在することは分かります。
しかし私は現在の安倍首相の美辞に飾られた主張には
何か違和感を覚えます。
その違和感の原因はふたつあります。ひとつは
政権の主張がいかに「民主的」で「平和的」な美辞
で飾られていても、国家主義イデオロギーという
本質が底辺に隠されている、と思うからです。
国家主義を復活させたい、というのが現政権の
本音ではないでしょうか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
国家と国民の関係を位置づけるとき、国家を国民
の上に立たせる考え方を「国家主義」、国民を国家
の上に位置づける考えを「国民主義」と言います。
(これは私見ですが、大きくは間違っていない筈です。)
明治維新後の日本は国家主義を選択しました。
富国強兵とは、国が「一等国」として富裕になるまで
国民は我慢して働こう、というスローガンでした。
その成果は目覚ましく、日本は半世紀ほどの短期間
で西欧的近代化を遂げました。しかし「国家主義」が
軍事的膨張へと転化したとき、日本は戦争へと突き進み、
敗戦により全てを失いました。
戦後はその教訓を忘れないために、国家主義を排除し、
国民主権と平和主義を刻む憲法を作ったのです。
戦後70年経ち、またぞろ「国家主義」が台頭しようと
しています。そのことに危険を感じます。
原点に戻って考えましょう。私たちは国家主義でなく
国民主義を選択したのです。
国家主義は国民に無条件の服従を要求します。
統制が取れた、反対者がまるでいないような国家の
姿を「美しい」と感じる美意識を私は持ち合わせません。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
第二に違和感を感じる点は、政権が軍事的な脅威に
対して軍事的に対抗しようとする姿勢です。 隣国である
中国が、ここ10年間軍事力を増強し続け膨張的な動きを
示しているのは事実です。
しかしその脅威に対して対抗策はいくらでもあるのに、
国民に対しては、唯一軍事力で対抗するしか選択肢が
ないかのような主張をしています。これは言辞トリックです。
相手の軍事力に対して軍事だけで対抗しようと考える
のは、軍拡競争を招く愚策です。結局共倒れに終わる
ことは歴史が教えるところです。
冷静に相手を分析し、選択肢を探せば、軍事以外
のベターな対抗策が見つかるはずです。
例えば互いの経済発展を目指した地域経済政策が
あります。環境問題は日中で取り組むべき地域的な
課題です。
日本には世界最先端の環境技術があります。
韓国も参加して日中韓で地域環境改善プロジェクトに
取り組み、成果をあげて世界に発信していくことが
できれば、そのことが極東地域全体の共通利益と
なります。
争いに目を向けてしまうと、他の平和的な選択肢に
関心が向かなくなります。地域の共通の利害に目を
向けることにより、互いに協力することで解決する問題
がたくさん見つかるのです。政権与党は、脅威を強調
することによって国民の目を「争い」に向けようとして
いるように思われます。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
かつて日本は軍事力を拡張し、中国はじめアジアへ
の侵略を図りました。我たちはその失敗の歴史から
学ばねばなりません。
なぜ軍部は暴走したか。なぜ政治家と国民は止められ
なかったか。その背後には「国家主義」があったためでは
ないでしょうか。幕末に吉田松陰たちが掲げた「国家主義」
は、旧体制を崩壊させる役割を果たましたが、後の時代に
妙な方向に暴走したように思います。
一方、歴史上アジアの大国であった中国は、近代に
なって味わった列強の圧迫と植民地の屈辱の歴史から
ようやく脱却し、戦後70年を経て世界の経済大国となり、
誇りと自信に満ちています。
急速に世界の「一等国」となった中国が「国家主義」
的となり、膨張政策を採るようになるのは、かつての
日本が辿った道と酷似しています。
革命後に欧州で拡張戦争に乗り出したナポレオンの
フランスの例もあるように、急速に台頭した新興国が
「国家主義」傾向を強め、拡張的政策に走りがちになる
のは一種の歴史の法則かもしれません。
そんな危険な道を辿ろうとしている隣人に対して、
近代「国家主義」の苦い体験者として、あるいは古き良き
友人として、日本はどうアドバイスし、国として対処したら
いいのか。
それが私たちのあるべきスタンスだと思うのです。
(2015.6.26)