カール・ブッセ、というドイツの詩人はドイツではあまり
有名ではないようですが、日本では明治の昔から広く
知られてきました。

山の彼方の 空遠く 
幸い住むと ひとのいう

この冒頭部分で私の頭に浮ぶのは、中学生の頃、校庭
から眺めた夕空と奥武蔵の山々です。
あの山の向こうには違う世界が広がっているんだ。
いつか、自分もあの山の向こうに行ってみたいものだ、
と考えていました。夢多き時代でした。

やがて成人してある企業に就職し、30代は仕事で
アメリカに住みました。帰国した後も世界に出かけて
仕事をしました。

時は流れて50年後。私は会社を退職して故郷に帰って
きました。私の辿った人生は、この詩に似ていますね。

ああ われひとと尋めゆきて
涙さしぐみ 帰りきぬ

カール・ブッセは、この部分で人生の無常を嘆いている
ようです。しかし、人生は常に新たなシーンを展開して
みせます。

山の彼方の空遠く 
幸い住むとひとのいう

最後のリフレインの部分で、人生の無常が強調されるの
ですが、私は少し違った解釈です。
故郷に戻った「私」は、また別の「幸い」、つまり別の目標
を見つけようとしているのではないでしょうか。

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人生は成長の過程である、という考え方があります。60歳
を過ぎ、70歳、80歳を過ぎても人間は成長し続ける、という
発達心理学の考え方です。
人生の終点に辿り着いてしまった、と思いたい人はそう思
えばいい。その人にとって、本当にそこが終点になるでしょう。

でもよく自分自身に問いかけてみると、自分はもう若くは
ないが、そう老いぼれている訳でもないのです。
周囲の「お年寄り」を見ても、気力も体力も元気な方が
たくさんいらっしゃいます。

まだ何かできるのであれば、もう一度夢を持ち、それを
追いかけることは意味あることに思えます。
なぜなら、それはそのひとの人生充実だけでなく、社会
への貢献にも繋がることなのですから。

高齢社会では、カール・ブッセの詩も異なる読み方が
できるのではないでしょうか。

(2014.8.17)