決して奔り出すことなくゆったりとしたテンポで、しかし深く流れる
川のような映画です。
6年間育てた息子が、実は病院で取り違えられた他人の子であった、
という悲劇の物語です。しかし映画は忌まわしい事件と決めつける
ことなく、ひとびとの心の思いや成長を丁寧に描き出していきます。
登場するのはごく普通の人々。
何よりも温かく優しく見守るような映画の作り手の視線が感じられます。
親子にとって大事なのは血縁かそれとも育てた経験か、ということ
がこの映画のテーマのひとつなのですが、私には親とは能動的に
なるもの、逆に言えば自然になるものではないのだ、という主張が
新鮮に感じます。そして、拡げてみればこれはアイデンティティー
の物語でもあります。
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失って初めて気づくものがあります。今までそこに居るのが
当たり前のように感じられていた身近な人が、何かの事情で
一緒に暮らせなくなる、そこに存在しなくなってしまう。
日常から消えてしまうということが明らかになって、初めて
本当に相手に、この映画の場合は子供に向き合うことが
できるのです。
「パパは6年間はお前のパパだったんだよ」
愛惜の思いがこもった言葉です。
男は結婚して子供が生まれれば自然に父親になる、という
考えは、どうも単純すぎて甘いようです。確かに生物学的には
人間も他の動物と同じように「父親」になるのですが、複雑な
人間社会ではやはりもうひとつ親になるためのバリアを越える
ことが必要なのです。
それは、「父親になる」という能動的な意思をもつこと、子供と
もっと真剣に向き合うこと、ということなのでしょう。
そのことの意味は複雑な現代社会では以前よりもずっと重要
なことになってきました。
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自分とは何者か、というアイデンティティの課題は、自らの
存在は自分だけでは決められず、周囲との関係において
獲得されるものと言われます。
自分は○○である、と思い込み、そう主張することはできます。
しかし本当に○○であるのか、突き詰めて考えると不安があります。
若い頃は自分がまだ何者かはっきりしない不安を抱えています。
自分が何者か、と問うている限りは結論に至ることはないのです。
やはり大事なことは自分から○○になりたいと決意し、そのために
努力することでしょう。
○○になる、というアイデンティティを獲得していくとき、ひとつのコツが
見つかります。それは、この映画のように「○○でなくなる」場合を想定
してみることです。失っても心が痛まなければそれは本当のアイデン
ティティではないのでしょう。失ったときに激しい悲しみや痛みを覚える
もの。それが本当のアイデンティティというものではないでしょうか。
親子関係だけでなく、夫婦の間でも、友人知人たちとの関係でも
そのことは言えることでしょう。
相手との関係性をしっかり築くことなく○○というアイデンティティは
成立しないのです。
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この映画は5月にカンヌ映画祭で上映されたとき、観客から総立ちで
10分にも及ぶ喝采を浴びて有名になりました。そのときの是枝裕和
監督のコメントが素晴らしいものでした。
「映画っていいな、と思ったし、それに対する拍手だな、と思っています」
謙虚なコメントはこの監督の生き方を現しているようで、好ましく感じました。
(2013.10.2)
「そして父になる」 GAGA2013年 是枝裕和監督