蛍の季節です。でも最近あまり見ませんね。
あるとき、自然農法の自分の田んぼに蛍が
飛びかうのを感動して眺めている農民がいました。
彼はそれを見てあるアイデアがひらめきました。
過疎に悩む地元を蛍の観光地にして
都会から人を呼び寄せられないかと考えたのです。
彼はアイデアを実行に移しました。数年たった現在、
観光で訪れる人々が増え、おまけに自然農法で作った
彼の米も、蛍のブランド米として高値で売れるように
なったのです。
アイデアのタネは誰でも持っています。でもそんな
「ひらめき」はすぐ消えてしまうもの。
タネはどうしたら見つかるのか。そしてそれを育てて
いくことについて考えてみましょう。
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誰でも、出来ればもっと楽しい人生にしたい、と思って
います。でも何が自分に出来るか、何をしたいのか
迷っていることが実際には多いようです。
ひとは誰でも生きるために役立ついろいろな才能・能力の
タネを持っています。でも自分でそれに気付いているひと
は少ないのです。
幸福のヒントは遠いところにあるのではありません。
童話「幸福の青い鳥」が教えるように、実はずっと
身近なところに幸福のタネがあるものです。
自分のなかにある小さなタネを探してみましょう。
自分が心からやってみたいと思うこと、得意なこと、
好きなこと、思いつくことをノートに書きだしてみて下さい。
「キャリアの棚卸」をしてみましょう。
ひとりでも出来ますが、誰か第三者がいると客観的に
作業ができるので効率的です。
信頼できる友人や先輩に手伝ってもらえれば最高です。
身近にそんな人物がいなければ(ここはちょっと
宣伝めきますが)、経験を積んだキャリアコンサルタント
やコーチなどの専門家に依頼することも一案です。
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自分は本当は何をしたいのか、タネを見つけたら、
次ははそれを育てていく段階です。
付加価値を付けていくプロセスです。誰が見ても欲しい、
やってみたい、と思われるレベルにまでアイデアを
考え抜き、洗練化し、商品化していくのです。
成功を導くために、この段階にはしっかり時間を掛け
ましょう。プロジェクトの準備期間であり、本格的に
実行するための「助走期間」でもあるのです。
いろいろな形でテストを試す試行錯誤の段階なのです。
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ワクワクする自分の人生を思い描いて下さい。
夢は大きければいい、というものではありません。
あなたが、心から満足できるものであれば、大きさ
は関係ありません。
コツは「他のひとと比較しない」ことです。
さあ、残りの人生の充実のために、あなたも蛍を
探してみませんか?
幸せ、とは何でしょうね。
40代の頃の私、何度か転職を経て仕事や家のローンなどで
にっちもさっちも行かないストレス状態に陥っていました。
その挙句、入院して命掛けの手術をするはめに・・・
より幸福になることを目指して転職したはずなのに、
どうみても幸福ではなかったですね。
自分が今幸せかどうか、60代になった現在はあまり考えた
ことがありません。
それ自体が、幸福であることの証なのでしょう。
多分。
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幸福の基準は自分のなかにあります。
40代の私のようにストレスを抱え込むような状況
を招いた原因は、やはり私自身だったのです。
自分を「幸福である」状態におくことの大切さを、
もっと理解しておくべきだったと思います。
「幸せになるのを
未来まで待つ必要はない
今 すでに幸せなのだ」
(ジェリー・ミンチントン)
この言葉で今の私は気づかされます。な~んだ、
今すでに幸せなのだと。
そして私が幸せだと感じる理由をノートに書きだして
みようと考えました。
結構出ました・・・。取りあえず20個出ました。
家族や友人に恵まれたこと、戦争のない時代に
生ていること、健康でしっかり歩けること・・・等々。
小さなことまで拾っていくと100個くらいは軽く
書けそうです。
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「当たり前のこと」と思っていたことが、それを失って
みると、実は当たり前ではない、実に貴重な幸福
だったと気づくのです。
自分が幸福であることにもっと気づくべきですが、
しかしこれは実はそう簡単なことではないかもしれ
ません。
戦後70年が経ち、日本人全体が「平和ボケ」に陥って
いる状況なのかもしれません。あるいは「ひとはいつも
幸福であるべきだ」と考えて、自分で勝手に幸福の
バーを高くし過ぎているのかもしれません。
いずれにせよ、自分に与えられている幸福に気づかない
のは実にもったいないことです。
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健康のありがたさを真に知る者は、病人である。
平和のありがたさを真に知る者は、戦争国の人である。
幸福のありがたさを真に知る者は、不幸に陥った人である。
健康、平和・・・、そして幸福。どれも一度失った経験
を持たないと、心底ありがたい、とは思えないのかもしれ
ません。その意味では、人生経験が浅いうちはなかなか
自分の幸福に気づきにくいのでしょう。
特に人生の前半では、幸福のレベルを高く掲げておくのは
ある意味必要でもあります。チャレンジすることはいつの
時代も大切なことです。
だからこそ、と敢えて申し上げておきたいのです。
今ある幸せに気づこう、そしてそれを大事にしよう、と。
「幸福に気づく」ためのコツがひとつあります。
それは、理性でなく感性を働かせる、ということです。
「幸福」は理性ではなく、感性で感知できるものです。
だから「幸福」を感知するための感性のアンテナを高く
掲げて下さい。
朝目覚めて自分がそこに存在していること、
愛する人々が自分の近くにいてくれること、
ベランダの草花が陽に輝いていること・・・・
どれも今の私を幸せにしてくれます。
小さな不幸は絶えず起こるかもしれません。しかし本質的
にはそれらは「小さな」ことでしかないのです。
生きていること自体が幸福なのだ、ということを
これからも忘れずにいこうと思います。
*参考:ジェリー・ミンチントン「うまくいっている人の考え方」
吉田兼好の「徒然草」を読んでいます。
高校生の頃読んだ覚えがありますが、人生の古老の言
という遠い印象でした。しかし兼好法師と同じ老境に
差し掛かった現在読み返すと、また新鮮な発見があります。
例えば、百五十五段の次の文章。
必ず果たし遂げんと思はむことは 機嫌をいふべからず
時はひとを待ってくれません。成し遂げたいことがあるなら
機嫌(タイミング)を待つのでなく、今すぐにやってしまうべきだ
というのです。
目標を立ててもなかなか実行に踏み切れないときがあり
ます。それは本当にやり遂げたいことなのか、まずは
自分に問いかけてみることです。
慎重さは大切です。しかし思いの強さが確認できたら
行動してしまうことです。
行動しているうちに風景が変わり、そこに道が開けるもの
です。
思えばこの言葉、古老どころかドラッカーの言といっても
おかしくない名言ではありませんか。
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春の一日。天気がいいので川辺りの桜並木でお花見を
しました。桜はちょうど見頃を迎え、川面には花筏が流れて
いきます。
土手にピクニックシートを敷き、持参したお弁当を食べて
いるときでした。一陣の風が吹き、私たちの頭上に桜の花びら
がひらひらと舞い落ちてきました。
とっさにある和歌の一節が頭に浮かびました。うろ覚えだった
ので娘にスマホで調べてもらいました。
桜花散りぬる風の名残りには 水なき空に波の立つらむ
作者は紀貫之。まさに今とぴったりの風情が描写されている
ようで、晴れ晴れした気分を味わうことができました。
平安と現代。時代は遠く隔たっているのに、桜を愛でる
ひとの美意識とは意外に近いものだ、という思いに
打たれます。
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古典とは過ぎ去った時代を生きた賢人たちが、はるか後世を
生きる私たちのために書き残してくれたメッセージです。
彼らの知恵や美意識がそこに詰められているはずです。
人生を豊かに生きるための知恵や、こ国の美しい自然を
より深く味わう工夫から学ばない手はありません。
古典をひも解くとき、賢人たちに心して向き合おうと
思う次第です。
(2017/4/10)
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